May 14, 2008
May 12, 2008
May 08, 2008
May 05, 2008
May 04, 2008
われに五月を
二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥達たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した
五月は特別。義母のところでゆっくり寺山修司の詩集「われに五月を」を読んできた。これは「五月の詩」の一節。家に戻ったら蛍光灯が切れたと電話が入った。
May 03, 2008
尾崎放哉全句集

大阪での宴会に参加。往復で読んだのはちくまからでた「尾崎放哉全句集」。
川柳教室に通いだしたとき、「なせ川柳? なぜ俳句じゃないの?」との質問を何回かうけた。川柳に特に思い入れがあったわけではない。知人に誘われてふらりとKCCの「新子の現代川柳」教室に通いだしたのがきっかけだ。はじめてみたら面白かった! ちょうど田辺聖子の「道頓堀の雨に別れて以来なり」という川柳作家岸本水府の評伝というか伝記というか、むっちゃすごく面白い本を読んだばかりで、「川柳」のぬくもりにふれ、「これが川柳? かっこいいじゃん」との思いもあった。教室にいったら監修である時実新子の川柳には「激しくかっこいいじゃん」というのもあって、ぼちぼちと川柳に関わっていた。
当然ながら、親戚関係にある俳句にも目がいくのだけれど、「なぜ川柳?」と、聞かれるたびに、どうもマイナー世界に突入したらしい、と実感し、また、時実新子が川柳作家だといういうこともあり、意固地になって、俳句にはあまり目を向けないようにしていた。今にして思うとバカなことしてしまったけれど。でもでも、やっぱり、川柳も俳句もおんなじかっこうしていて、気にしないでお気に入りをよめばいい、いい句はジャンルに関係ない。だいたい時実新子って、そうとう俳句っぽいなと今は感じているのだ。
放哉、高校か中学の教科書で「咳をしてもひとり」と出会ったときの印象がまだ残っている。孤独感寂寥感。改めて超エリートの会社員からの逃走、痛飲、漂泊と流浪の人生を知るってから読むと、また俳句が面白い。
本の表紙写真は神戸須磨寺。ここから彼の句はさらにさらに孤独感が深まっていく。体も壊れていく。このGWに須磨寺に行ってみたいな。
と、この本、うれしそうに買って読んでいたら、同じ本を夫も買っていた。
April 29, 2008
昭和の日
もと天皇誕生日でみどりの日で、現在は「昭和の日」。昭和ってつい最近みたいなんだけど。といいつつ何しろ昭和最後の年に生まれた娘がまもなく20歳なのだから……。わたしも目がしょぼしょぼになるわけだ。新聞を読もうとするとぼやけて読めない! 疲れているんだと思う。それが毎日続き、やっと、老眼だと思いついた。
快晴。いい天気だと家族で「どこに行こうか? 海? 公園?」と言ってたのが、もう大きくなった子どもたちは自分のスケジュールで動き、今は、「おばあちゃんをどこに連れていってあげようか」になった。
時は流れ流れゆく。まるで「ちいさいおうち」のように。
April 28, 2008
大阪府立国際児童文学館

鳥越塾の日。今年度は岩波少年文庫を中心にやることになった。楽しみ。鳥越先生は20代のころは岩波少年文庫の編集者で、先輩に石井桃子さんがいたのだ。いろいろなお話が聞けることと思う。
今、大阪児童文学館が揺れている。ここには鳥越コレクションが満載。貴重な資料を、どう生かすのか。「子どもの本」の研究や、子どもたちにどのように、どんな本を届けるのか、また、子どもたちはどう受け取ったのか、研究し還元していく場所だ。存続運動(署名)にご協力をお願いします。
20日、鳥越先生は、「子どもの本・九条の会」に出席してきたという。その場で読まれた詩が竹中郁の「もしも」。わたしの大好きな詩人! びっくり。というのも神戸では知られてはいても全国的にはあまり有名ではないと思っていたので。
竹中郁が若いころに通った「アカデミーバー」が神戸加納町にあり、今でも健在。そのバーの壁には、竹中郁の絵が残されている。写真はその絵。中央の傘。絵も得意な方だったとマスター(今は二代目)が言っていた。








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